臓器移植法改正案でA案が衆院を通過したわけで、これでよっぽどのことがあっても確実に成立することがほぼ確定したわけですが、ここにきて「もうすこし議論があっていいのではないか? 脳死は人の死でいいのか?という議論をもっとするべき」と国会議員の先生方が言っているわけですが、まあ言いたいことはもっともですよね~。

ただ、なんで今になって臓器移植法を改正しなければいけなくなったのかをよく考えたほうがいいと思われます。
WHOからの警告と、海外諸国の受け入れへの難色というこれ以上は予断を許さない状況になったから改正せざるをえなかったんでしょ?

というか、脳死下移植が始まってから今まで議論する時間ってなかったでしたっけ?
そこでそれをしなかったのは国会議員を諸先生方、テレビや新聞、ネットなどのメディア、ひいては日本国民全員の責任じゃない?

うちの大学も日本でOO件目の脳死判定をしての臓器移植をしてまして、先日たまたまTBLの講義のチューターで立ち会った先生と話をする機会が得られました。
流れとしては、ドナーカードもってて、臓器移植ができそうだとわかったら、移植コーディネーターと連絡とって家族に状況説明して、オプションの提示、今回は承諾だったので、あと倫理委員会も開いてと脳死判定を行う医師に連絡。各地の移植医がぞろぞろやってくる。で、脳死判定を行ってから、移植医の医師たちが臓器を取り出して、各レシピエントのもとに運ぶという淡々としたものだったそうで。

人の死に方っていうのはすべて違うわけで、どっちが間違ってるとかそういう問題でもないのが難しいところです。


ちなみに、私個人としては改正案に反対する意見、賛成する意見ともに一理あるとは思ってます。
ただ、政界情勢がそれをどう見るかっていうのはまた別になってきますよね。

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